May 17, 2019

ノルウェイの森 小説 村上春樹

1987年のバブル真っ最中に出版、文庫本や世界での売上も含めて?現在では1000万部突破しているような爆発的ヒット作。

当時は「アルセーヌ・ルパン集」みたいな本が好きだったので、読んでみたいとは思いもしなかった。多分、電車に乗ったりするとダブルのアルマーニ風のスーツに身を包んだ、気取ってるけど軽薄そうな大学生だか、社会人の男が、赤い表紙やら緑の表紙の本をこれ見よがしに読んでいたせいだと思う。しかーし、何で世界中で村上春樹?そして、なぜこの本がそんなに売れたのか?を知りたいがために、つい最近、読破。

これはポルノ小説か?と思うような、随分あけすけな性描写。男性主人公の「ワタナベ」はどうってことのない18歳の大学生なのに、なぜかモテモテ、それも相手から言い寄られたりして。東大の端正で話上手の美青年永沢の弟分として街に繰り出し、ナンパ三昧。永沢とつるんで、一夜限りの関係を繰り返していたりする。正直、下品な表現もあるのだけど、海外の小説やら洋楽が効果的に使用されているため、なんだかオシャレな印象すら漂う。しかも1960年代の話なのに「神田川」臭が全然しない。食べてるものだって、バーでサラダやトースト、パスタ、グラタン、コーヒー、ビール、カクテル、ウイスキーで「米」臭もなし。

そこが当時の若者にウケたんじゃないかなー。という気がする。「真面目なだけじゃなくて、適当にチャラい方がカッコイイ」みたいな感じで・・。あと、この小説読みましたってことは「大学生になったら、チャンスがあればやりまくりますよー」と宣言するみたいな?超真面目な、戦争時代の価値観を引きずった大学紛争に明け暮れた人達が、無残な醜態(あれだけ反権力!ってやっていたのに、大概の人は普通に大人しく、役所や大企業に就職し、サラリーマン社会に染まりきる)を晒してしまったために、価値観が大きく逆ブレしたというか。ちょっと良い大学ならば「就活しなくても大企業への就職は約束されたようなもん、楽しまなきゃ損!」みたいな。時はバブルで、踊ったもの勝ちみたいな感じだったし。

 

けど、内容はただのバブル小説ではない。むしろ、何らかの事情で傷つき、ダメージを受けて、気楽に踊れないようなとても鬱々とした登場人物たちが、狂気と現実の狭間で揺れていて、死者と現実の世界でも揺れていて、危うく脆く、でも、なんとか正気を保ちながら着地点を探しているような感じ。当時から「うつ病」あったのかわからないけど、引きこもり、ウツ、適応障害、発達障害のような人達にスポットが当てられている。気楽に踊れなくて、立ち止まってしまい苦しんでいる人達。ワタナベは彼らに関わりはするんだけど、幸いなことに正気の枠からははみ出さない。軸がさだまっているのだ。ワタナベは文中で「キズキが死んだとき、僕はその死からひとつのことを学んだ。そしてそれを諦観として身につけた。あるいは身につけたように思った。それはこういうことだった。死は生の対極にあるのではなく、我々の生のうちに潜んでいるのだ。我々は生きることによって同時に死を育んでいるのだ」と語っている。永沢はワタナベのことを「 俺とワタナベは似ている。ワタナベも本質的には自分の事にしか興味が持てない人間なんだよ。傲慢か傲慢じゃないかの差こそあれね。自分が何を考え、自分が何を感じ、自分がどう行動するか、そういうことにしか興味が持てないんだよ。だから自分と他人を切り離してものを考えることができる」と評している。皆、ワタナベを拠り所に、現実社会に止まろうとするが、結局は負に引っ張られて、自死を選んでしまった人達が多い。そういう弱い人達にスポットが当たっている。そこがこの作品の特徴かな、と思う。

ワタナベは高校時代の友人キズキ(理由は明らかではないが自殺)の恋人「直子」に惹かれて、キズキ亡き後、直子と付き合うようになるが、直子は次第に狂気の世界に入っていく。ワタナベは現実社会で逞しく生きてる大学の同級生「緑」と関わるうちに、いつしか癒され、惹かれていき、結局は生命力の強い緑を選ぶ。

 

直子はワタナベに好意を抱き、頼っていたものの、愛していたわけではないので(愛していたのは、元恋人キズキただ一人、それが苦しさにも繋がっていた)、ワタナベを素直に受け入れることができない。それはそれで仕方が無くて、ただ、最後まで寄り添ってくれたことには大変感謝している。多分直子が自殺したのは、キズキとワタナベ問題から解放される唯一の手段だったから。居なくなった人との関係はやり直せないので。また自分の為に宙ぶらりんにしているワタナベを自由にしてやりたかったというのもあると思う。

そういう意味では、暗い小説ではなくて、最終的に「前を向いて次に進むかー」っていう作品ではある。だから講読後に、あのエロシーンの描写は必要だったのか?と思いつつも、嫌な感じはしない。そんな小説だった。
それにしても、世の中が浮かれていて、誰もが「イケイケ」のあの時代に、挫折した人にスポットを当てた鋭い目線はさすがだなーと思う。今時、一見何の不自由も無さそうにみえて「うつ」を煩っている人も多いと思うので。そういう意味では、時代に先駆けていたのではないだろうか。ちなみに、1981年は田中康夫の「なんとなくクリスタル」1982年は林真理子の「ルンルンを買っておうちに帰ろう」が上梓された。1987年最大のヒット作は俵万智の「サラダ記念日」。普通のOLが理解出来るような分かりやすい恋愛短歌が評判。トレンディドラマも大流行で世の中は恋愛至上主義だった。どれだけモテるかが重要で最大の関心ごと。それだけ世の中平和で気楽で若い人が多かったということかと。

 

 

ノルウェイの森は文壇からは散々批判されて、芥川賞の候補にすらならなかった。しかし本は売れたもんだから、ますます皮肉られて、日本に住みづらくなり海外を拠点に活動する作家になったようだ。一発屋で終わっていたら、単なる流行作家でしかなかったかもしれないが、海外移住して翻訳も手がけるようになり、更に「無国籍性」「時代超越性」を備えたような気がする。文壇に所属して「エライ人」の顔色を伺わなかったことも、彼の独自性、作品上の自由さを際立たせることになったのかも?!

 

日本では散々酷評されたけれども、もし春樹がノーベル文学賞を受賞したとしたら、世間なんてそんなもの。誰も理解してくれなくても、誰も自分に賛同してくれなくても「時代が後からついてくる」ってこともある。長い目で見なければ、どんなこともわからないものだ。そういうことを教えてくれる小説でもある。

 

May 08, 2019

日日是好日(にちにちこれこうじつ)森下典子

「日日是好日」 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ 森下 典子 新潮文庫 2008年(平成20年)

希林さん出演で映画化された本作。茶道25年のエッセイストの「お茶を通しての成長の記録」

筆者は、大学生の頃から習い始めて「細かいしきたり、決まりごとの多さ」にとまどいながらも、長い年月をかけて、ある日突如降りてくる「お茶」からの「気づき」と「啓示」。お茶を通じて得られる哲学や深い「生きる知恵」がしたためられている。

正直、お茶って「着物好きな上品なご夫人の習い事」くらいにしか思っていなかったけれど、この本を読んでみて、実は、知的遊び心とおもてなし精神と知性が満載の総合芸術ということがわかった。手順やルールは決まっていても、道具選びや掛け軸、切花など、自由な部分もあり、その組み合わせは無数で、招かれた客は、部屋や道具のしつらえ、茶菓子などから、主人のメッセージを受取る。茶道に通じていて、掛け軸やら道具類の知識が十分にある人同士なら、一言、二言交わす程度でも、行間に隠されたメッセージ数行分の会話が成立したも同然の状態になるのでは?という気がする。千利休が「茶道」を確立した当時は「お茶を飲んで一服してもらう」以上に、武芸に秀でた知識人同士の「知的戦闘の場」としても機能していたのではないかと思った。実際に戦闘を交える前に将軍をお茶に招いて、相手の知識、中国古典への精通具合を推し量っていたのでは?「ヤツの兵法の知識は大した事無いな・・」とか「あの人は人間的に自分よりもずっと優れている」とか。

一方、茶道のお点前を披露するときは、考えなくても体が自然に動くまで型を何度も繰り返す。流れるような様式美の習得は、雑念が入り込む隙を封じ心をこめることにも繋がる。そして、五感を研ぎ澄まし、外の音(雨や風の音)や匂いを感じ、静寂の中に身をおき自然と一体化して宇宙の一部(トランス状態)となる。ある意味、宗教的で禅的でもあり、集中力を高めるための修行のようでもある。一度経験してみたい気も・・。その域に達するには何年もかかるのでしょうが。

引きの美学で、道具も一見地味だったり(実はすごい手が込んでいたりする)、簡素を演出する。そのかわり、茶菓子には季節感が満載で遊び心もある。あれこれひけらかすことはないけれど、わかる人にはわかり、伝わる人には伝わる。そういう時の満足感はすごいだろうな~。自然物も含めて、すべてのものに「リスペクト」が感じられる部分も西洋のセレブ文化とは全然違うところ。

この引きの文化だったり、少なく地味なアイテムに持てる知識を総動員し、五感をフルに使いながら、想像力を駆使して四季を味わい、自分と向き合うという行いは、今こそ注目するに値するし、世界にもっとアピールすべきなんじゃ?と思う。

厳しい自然の中に身をおき、常に一期一会を意識して、必要以上の浪費をしない文化。経済と消費のために、浪費する文化よりもよっぽど高尚だしエコロジーだしスマートだなぁと思う・・・。

 

 

 

 

April 29, 2019

もし3億円当たったら?

もし今3億円当たったら、どんな風にお金を使うだろうか。
ふと、そんなことを考えた。老後の資金には十分すぎる金額。1億くらい使ってしまってもいいか、という金額。

どうして急にそんな事を。

元東方神起のメンバーユチョンが不正薬物使用疑惑で逮捕されるというショッキングな事があったのと。

最近まで知らなかったのだけど、ある有名選手のご子息が、整形を繰り返して2次元「フィギュア化」している
ショッキングな映像を見たため。

ユチョンの元恋人で薬物を共に使用した疑いで逮捕されている、財閥3世。ぱっと見、とても可愛くて美しく、スタイルも抜群な人。だけど、なんか、人形みたいな2次元な雰囲気。かのご子息と同じ匂いを感じる。

どちらも、親は裕福で、元からスタイルも顔も悪くない。きっとそれなりに頭も悪くないだろうし、金銭的にも恵まれていて、物質的にも満ち足りている。芸能人との集いなど、華やかな交流関係もある。ネット住人からも常に注目されて、フォロワーも多い。

けれども、はたからみる限り「なんか満たされてない感満載」に感じる。

「笑う男」の登場人物「ジョシアナ公爵夫人」と全く同じ匂い。彼女も生まれながらのセレブで、不足は無いはずなのに、いつも満たされていなくて、刺激的な愛とか、破壊的な事を求めている人物だった。

どれだけ持っていても、正しい使い方?を知らなければ、空虚なことにしかならないんだと思う。


もし、今自分に3億円あったとしたら、どんな使い方をするだろうか?と思うと、自信がない。
多分、会社を辞めて、都合の良い時間、趣味的に働いて、旅行三昧?自分の外見が変わったら、この地味な生活はどうなるだろうか?1000万注ぎ込んで「美容整形」してみるか、と思い立つかもしれない。誰かをお金で買おう、と思うかもしれない(直接的に買わなくても、そういうサービスで人を釣る事はできる)。

あーー、書いてるだけで虚しくなってくる。けれど、一度そういう世界に触れてみると、抜けられない地獄でもあるような・・・。結局、さらなる刺激を求めて、薬中毒になるのかも?

もっと、有効的な事にお金を使えるようなマインドと知識がなければ、結局は自堕落な事になっていきそう。

カルロスゴーンもかつては「カリスマ経営者」ともてはやされたけど、報道をみる限り、お金の使い方を知らず、無駄に蓄財して、くだらない事に使っていたように思う。そういう意味では、ただの凡人だったね。まぁ、テロとかに使われるよりはいいけど・・・

投資が天才的に上手かったり、いっときのアイデアやYOUTUBEなどで注目を集めて、億万長者になる人もいる。村上ファンドの村上世彰氏が子供に「お金を稼ぐ投資の魅力」を伝授しようとしているが、それよりも「虚しくならないお金の使い方」をもっと教育するべきなんじゃ・・・

なきゃー無いで、不満タラタラの人生だろうし、あればあったで、自堕落で危険な人に。何を目的に稼ぐのか。稼いだ先に何があるのか。

お金には人の思い、が憑いている。だからとても重いものだと思う。軽く扱ってはならないんだろうな。とか考えてしまった。オレオレ詐欺で老人から何億円もせしめている輩もいる。彼らは一体そんな大金を何に使うつもりなんだろう?

何らかの才能があれば、ある程度簡単に稼げるからこそ、使い道を考える教育の必要性を感じる今日この頃。

 

«「笑う男」 ミュージカル

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